ハヤシライスは好きじゃない

ネットの記事は書き捨て。セク・ロマともにA~デミを行き来している人が思ったことをぽいっと書く。セックスは平気だけどキスは気持ち悪い。

性的指向が複雑すぎる

恥ずかしい話をします。そのために開設したブログですから。

 

ちょっとややこしい家庭環境に生まれてきて、大人になるまで恋愛どころか友人との関係に割く財力と時間の余裕がなくて、それでも細々と両手の指で数えて指が余るくらいの人たちと付き合いが続いていた。

私は自分のことを、行動範囲の狭いヘテロだと思ってた。

ただちょっと性欲が薄くて、相手に抱きしめてほしいとか手をつなぎたいとか、そういう欲求がない奥手な普通の人なんだと思ってた。

「お前はいつまで待っても、恋人としてじゃなく親友としてしか振る舞わない。もう嫌だ」

そう言って振られるまでは、私は普通の人の範囲内にいるんだと思ってた。

相手が『私が性交を持ちたそうにしている』と喜ぶから、性交を持ちかける世間でいう男女の交際において、女はみなそうやって振る舞っているのだと思ってた。

どうやらそうではないらしい。

なるほど、トレンディドラマで「好き」「愛してる」を何度も口にするのは、誇張ではなく、あれが普通だったと。

私はどんな嘘も冗談も取り繕いもしてきたし、何でもしてあげたくて徹夜してでも相手の要求を満たしてきたけど、相手の名前も呼べなかったし、好きも愛してるも口にできなかった。

「死ぬ前に一度くらいは言えるようになるから待って」とずっと謝ってきた。これが普通だと思ってた。けど、そうじゃないらしい。だってそれを理由に、婚約までしたのに振られたんだもん。

 

それから、過去のことを振り返ってみた。

初めて恋愛に関わる行動を起こしたのが12歳。小学校6年生。何となく属していた女子グループ(居心地は最悪だったけれど、1人でいると先生になんやかんやと言われるから隅っこに混ざってた。というか放り込まれた)の子に「6年生にもなって初恋もまだとか遅れてる」と言われ、3日考え抜いて、隣の席で2年間を共にした男子に告白して盛大に振られる。

そりゃそうだ、「別に付き合いたい訳じゃないけど好きです」って言われてもどうすりゃいいんだって話だ。何より友達だと思ってた相手に好意を抱かれてたなんて、ぞっとする話でしょ?

そこから自分でアクションを起こすことなく、言われるままに付き合ってなんだかんだで彼氏が途切れることはなかった。相手に好きになってもらうために、容姿とか成績、運動神経なんて必要なかった(一目惚れでした、という人はいたけど彼の心理は私には理解できない)。男の子も女の子も、話したいことが胸の中に詰まってるから、私は会話でそれを引きだして、黙って聞いて、時々笑って頷けばよかった。

それで友達が増えてハッピーになる! と思ってたけど、実際は男女混合惚れた腫れたの大乱戦だった。

無理です。

所属していたグループを悉く破壊して(今でいうサークルクラッシャーというやつかもしれない)一か所に留まれず、ようやく高校で「私に自分のことを話したがらない子」と巡りあって、今もなんとか友情を保ってる。それ以前の友人たちは全滅した。

「人に優しくしすぎるからだめにするんだよ」と言われたけれど、優しくしないさじ加減が分からなかった。

 

そもそも、付き合ったことがあるのは異性だけだったけど、自分から手紙を書いたり、肌に触れたいと思ったのは、同性だけだったから(付き合うとなると親が悲しんだり、相手に拒絶されるから実行には移さなかったけど)きっと私はバイセクシャルなんだろう、と思っていたけれど、彼らのコミュニティを覗いていて、私の居場所はここじゃないな、と思った。

なんというか、モニターの向こうの見知らぬ人に「仲よくなりましょう」とタウンワークのようにパートナーの募集をする、そのアグレッシブさが理解できなかった。

どこにも拠り所がなくて、一人で生きて孤独に死ぬんだと思った。親にも「結婚する気がないなら、人工授精で子供を作らないなら孤独死しろ」と言われたし。

やだよ!

閑話休題

 

悶々としていたある日、何の気なしに開いた記事で衝撃を受けた。

www.huffingtonpost.jp

以前この記事を読んだ時、私には異性のパートナーがいたし、自分は奥手なヘテロだと思ってたから、「ふーん」て感じだった。

それが、

ミロマンティック(Demiromantic)
上記の「デミセクシュアル」同様に、デミロマンティックの人は、「強い感情的な絆がすでに築かれている関係」の場合のみ、人に対して恋愛感情を抱く。それ以外は、抱かない。

これだ、と思った。

上記の「異性のパートナー」も、私がアクションを起こした2,3人の同性の友人も、いずれも5年近く付き合った親友だった。

 

私は今接客業をしていて、子供の頃から癖になっている「相手の話を聞きだして黙って聞いて、時々にっこり頷く」、これで多くの爆発寸前の爆弾を鎮静化させてきたし、代償としてカウンターを乗り越えて私に触りたくなってしまった異性に家までついてこられたりもした。残念なことに現在進行形である。

財力があり、定職があり、見た目も悪くなくても、私は彼らを全く理解できなくて気持ち悪く思ったし、花や菓子を持ってこられることに対する「女性」扱いにも強い抵抗があったし(私はれっきとしたシスジェンダーの女性だけれど、恋愛対象には「親友」を望むから、性別や目線の高低の全ては不快感に繋がる)、何より嫌悪より前に、もっといい人がたくさんいるのに、こんな人間にハマって可哀想だなぁとしか思えなくて(学生時代は「そのうち飽きるかな」と思って受け入れては失敗してきた)、その私のぐんにゃりとした感じに、彼らはますます庇護欲のようなものをそそられているらしかったし、私はそれが気持ち悪かった。

 

肩を組んで同じ方向を見ている相手と、セックスは私は興味ないけど相手が望むならしてもいいくらいの頻度で、老いて死ぬまで一つ屋根の下で友達同士のまま添い遂げられたら、それ以上に何も望まないのだけど、まあ現代社会では難しいんだろうな。

もし一緒に住んでくれるって友達のうちの誰かが言ってくれたら、私はきっと5年10年後にはその子のことを世界中の誰よりも大事だと思っているだろうし、もしかしたら肌に触れたいと思うかもしれないけど、相手がそれを織り込み済みであるかどうかの可能性を考えると、黙っているべきなんだろう。

 

冒頭で語ったように、私は複雑な家庭環境に生まれた。遠くない未来で、天涯孤独になるのは約束されていて、その時私は「好き」が何か分からなかったから、一人で生きていく覚悟を決めた。

今でも知り合った人たちから、孤高だとか孤独を飼ってるとか言われるのは、その時の私を引きずっているからなのか、それが、デミロマの宿命なのか。

孤独死は嫌だなぁ。