ハヤシライスは好きじゃない

ネットの記事は書き捨て。セク・ロマともにA~デミを行き来している人が思ったことをぽいっと書く。セックスは平気だけどキスは気持ち悪い。

wikiに項目がないと怖いよね

自分の中では当たり前のことなのに、wikipediaに記事がないか赤い文字でリンクだけあると、仲間がいないのか~~と不安になる。

ネットなんて、wikiなんて頼りにならないソースだと思ってたのに、心のどこかでは支えにしてたんですね。

 

ないなら自分で書いて整理しよう。

そういうブログです。

社会的性ってなんぞや?

過去記事と正反対のことを書く日も、それをさらにひっくり返して書く日もあると思います。

あっでも前回の日記に書いた猫はすっかり我が家の一員ですよ。一員と言うよりもう頭ですね。ヘッド。

 

数か月前、ふと「シスジェンダーって何だろう?」と思いました。ジェンダーというのは社会的に語られている性別のことで、恐らく「私はお淑やかで女らしい」から女、「私は力持ちで勇敢」だから男、という感じでしっくり来ているのがシスジェンダーなんだろうな、と思ってるんですがこの理解があっているのかどうかわからない。

少し前まではここに「シスジェンダー女ですけど(ドヤ!」って書いてたんですけどね、これ、「私にも恋愛感情はあります!(ドヤ!」と同じ勘違いをしてたっぽいんですよ。「違和感(嫌悪)がなければ適合」っていう、YESかNOかでしか判断してなかった!

私は自分の性格を男らしいとも女らしいとも思えないし、好きなものは機能性、可愛いものには興味がないしスカートは大嫌いで学校の制服にずっと文句を垂れていた(卒業式の翌日が燃えるゴミだったので捨てました)、憧れを抱き同一化したいと願うのはいつでも「性(異性)に興味のない男性(二次元キャラクターがほとんですけど)」もしくは「男性の形をしたアンドロイド」。私はこれを「大人になりたさの顕れ」だと解釈していたんですが……タイトなミニスカートやウェディングドレスを着て大人の女性になるというビジョンは抱いたことがなかった。「大人になりたい」なら、そちらの空想も抱いていてもおかしくないのに。

ふと振り返って、あれ……?となっていた矢先、会話の流れでサラッと親に「子供の頃から女の子と思って育ててない」とカムされて、あっらま~、じゃあ私が「男になりたい訳ではないが私を女と定義するな」といきり立ってた件、これってもしかしてXジェンダーと言うやつでは……?と。Xジェンダーについての本が出ているので買って読みます。

多分私がピンとくるのは「中性」だと思います。自分の肉体的性別と自分の心地よさのギャップを埋めるために、一般的に定義されている異性の要素を日用品やそれらのデザイン的、服装などから取り入れて「中和」しようという意識を幼少の頃から抱えていたので。性別がない訳じゃないだろうな……と。

 

最近思い立ったがツイッターってなもんで、わーーーっとツイートして終わらせてしまっているので、時間を作ってまとめて深めていきたい。

ひとまず準備運動でした。

人は猫にも恋をするのか

ご無沙汰してました。あけましておめでとうございます。

 

突然なんですが、うち、近所に野良猫があふれてるんですね。いわゆる「地域猫」とかいって、みんなで世話しているらしいんですけど、私は元々「看取りも看病も私生活を削ってできないなら手を出すべきじゃない」と思ってたのでねこだいすきだけどノータッチだったんです。

で、この間。ちょっと用事があって丸一日家を空けてたら、玄関に例の野良猫のうちの1匹がいる。

話を聞けば

「近所のAさんが血尿を出しているこの子を見つけて動物病院に連れていった、同行したBさんもAさんも家で猫は飼えない」→は?とは思うがまあ理解はできる

「野良猫だから病院から帰ってきた日は外に出していた、そしたら雨が降って挙句、気性の激しい別の猫に怪我を負わされたようだ」→なんで外に出した?

「だからうちに置いてほしいと言われて(猫好きな家族が)OKを出した」→じゃあ最後まで面倒見ましょう→飼うんだよね?

「元気になったら外に出してほしいってAさんが言ってる」→は?

「今週末病院に連れていくけど、我が家の車は出すな、治療費は金出すから自転車の荷台に乗せて行くってAさんとBさんが言ってる」→???????????????????

「Aさんは元気になったらうちで飼ってもいい、とも言ってた」→看病は?????????????????????

「Bさんは家族が猫嫌いだからマンションを借りて猫と住むって言ってる」→現実的じゃないんだけど大丈夫?物件決まってないんでしょ??????看病は???????????

 

「看病は出来ない」「猫がまた病気になったり怪我をするリスク」「でも猫とは遊びたいし餌をやることで世話をしているつもりになりたい」(そもそも各家庭が自由気ままに健康管理もせず餌をやった結果が血尿では?トイレ代わりにされている家は何とも思わないの?)

このあたり何とも思わないのか……私が頭が固いのか……?

ド平日の朝っぱら出勤時間前から二人でおしかけてきて猫の湯たんぽを入れ替えるからと(そんなの我が家で猫の様子を見ながら出来るのにやるなんてどう考えても「世話をしているつもりになりたいから」では?)寝ている猫をどけて二人で名前を呼んで起こして安否を確認しては「元気がないから病院に行く自転車なら持ってきた」ぴーぴーぎゃーぎゃー…… これが夕食時にもう一度ある。買い物に出ようにも彼女たちが来る時間は家にいないといけない。我が家にだって風邪引きがいて来客の対応なんか正直してらんないのに、行動が制限されてどうしようもない。

 

滅茶苦茶腹が立ったので、明日、週一の休みを返上してちょっと親権を巡って議論してくるんですけど。この「親権」に対して「治療費を払うことで繋ぎとめたい」が「面倒事は関わりたくない(看病はしたくない/家庭の事情でできない)」、だったら治療費変換しますし遊びたいなら、我が家に上がって遊んでいけばいい。手土産なんかいらないから。ただこちらの都合さえ読んでいただければ。

 

私は割と動揺することが少なく、怒りも顔に出づらいので(営業スマイルくらいは人並みにできます。接客業なので)命がかかってる事に対しては猶更冷静でいないといけないなと、医者の言葉と少しのネットの情報を元に静かに看病しているんですが、こう、「愛情をかけている」ということに対して冷静だと、愛情がないと疑われるのは何なんでしょうね?

第一看病してほしいと言ってきた家の人間を病院に連れていかずに医者の言葉をAさんBさんの口から矛盾したサラウンドできかされて(これに関しては押しに負けたうちの家族にも非がありますが)、正直手間が増えてる。

一緒にピーピー叫んで猫が元気になるなら私だっていくらでも騒ぎますよ。でもそうじゃないんだから、彼女たちがいやがるトイレの世話も、噛まれながら餌を口にねじ込むことも、冷静に猫と向き合ってしなきゃいけない。今後のことを考えれば、何らかの病気を患った猫をこのクソ寒い季節外になんか出せないし、春になったって気性の激しい猫がいて、他にも例えばHIVキャリアの猫がいるかもしれないし(この猫がそうじゃないとは言えないし)、一本表へ出れば産業道路があるような土地柄で、ちょっととろくさい猫を放りだすなんて、一度世話をしてしまった以上はできない。自由がないからなんていうのも、長く生きてほしいから医者に見せて注射を打つなんてのも、どっちも人間の推測でエゴでしかないんだから、人間の手を加えてしまった以上は、人間なりにできることをしてやらなきゃいけないんじゃないのか?

猫が外に出たがることも、人間の赤ちゃんが外に出ていくのと一緒でしょう?危険があることを知らないで、欲に任せて出ていくんだから、知ってる人間が止めて守ってやらなきゃいけないんじゃないの?

そんなに間違っているのか?

 

私には彼女たちの行動が「恋」に見えるんです。いや、正確には恋愛にまつわるあらゆる「献身の皮をかぶった自己中心的な行動」が(相手の都合をきかずに突撃するいわゆる「来ちゃった」なんてまさにこの上記の湯たんぽと同じでは?)、短絡的でハタ迷惑に見える。

もう少し冷静に、色んな事情を顧みて自分にできることを分析して動いたりは出来ないのか?看病している私たちは(まあ猫飼ってた経験があるのもあるんですが)日常を普通におくりながら、少しだけ自由な時間を削っているにとどまっているのに、やれ心配で眠れなかったから睡眠薬を飲んだなんだかんだと言われても、正直知りませんよ。恋愛相談なら他所でやってほしい。

不可逆な人間関係

kadokawaから出ている「やがて君になる」、面白いですね。

主人公がAセクっぽいと聞いて読み始めたんですが、私はゆうちゃんより同級生のまきくんの気持ちに近いなぁと思うし、そういう感じで観劇している視点では、さやかちゃん→とうこちゃんが好きです。

作中の舞台が同じ街、高校なんですが、同性愛カップルが3組(片想い込)出て来ると、おお、近い、と思うんですが、これはフィクションにしかないのか、それともリアルでも可視化されていないだけでこんな感じなのだろうか。

 

「相手のことが好きで傍にいたいから、関係を壊さないように気持ちを黙っている」っていうのはどの性別の組み合わせでも、美しいとか純愛、自己犠牲という市民権を得ているような気がするけれど、「(恋愛的には)好きじゃないけど(大切な人だから)離れたくなくて、気があるふりをする」っていうのは美しさとは正反対かな……卑怯とか阿婆擦れとか。う~ん、同じ動機だし表面上は相手に応えてもいるのに、これは自己犠牲にはカウントされないのかな。不思議だ。

 

好きな子の写真を待ち受けにしたい、というのがなんだかすごく……異文化だ……という感じで、自分の顔が美醜とは関係なく嫌いだった私は、過去、誰にも写真を撮らせなかったんですが、結構冷たい仕打ちだったのかなぁなんて思ったりもしました。

今まで恋愛漫画のこういう描写は全部フィクションで、リアルの人間は好きな子の一挙手一投足に悶絶しないし、すれ違っただけでどきどきしない、手を繋いで歩いて手汗がじっとりしてくるのは体温の差と密着している部位にありがちな生理現象では?みたいに思っていたのでまったく自分とは関係のないものとして処理してきたんですが、これを「普通に怒り得る生理的な反応」として読むと、ああなんて人間って面白いんだろう、と思いました。そして、私のこれまでにこういった感情が一切なかったことで、じわじわと恋愛感情のスイッチがないんだなぁと実感していく感じで。

 

なんだろう……可愛くて、美しいんだけど、実際作中でもとうこちゃんはそれを演じているんですが、所謂スパダリでなければ、押せ押せの片想いが美しくならないのかなぁ、何をやってもダメで誰にもモテなくて、顔も普通でハナがなくて片想いをして押して押したら、きっと「迷惑」じゃないですか。

そこの違いって何なんでしょうね。

ツイッターやってるんですけど

あるじゃないですか@tosってやつ。TLには出ないけど、ホーム画面からはバッチリ見えるやつ。

ホームを辿るってことは相当興味があるということで、そんな労力をかけてくれる相手ならまあ滅茶苦茶なこととか軽はずみなことは言ってこないだろうみたいな空気がありまして、私もちょくちょく利用するんですね。

ほんっと顔も見たことない他人に甘えてるんだけど。

まあ、珍獣が何を考えて生きてるのか、ちょっとした芸の肥やしにでもしていただければいいかなみたいな。私も文字にしないと自分が何を考えているのか整理できないのでwinwinだろうと勝手に思ってるんですけど。

それでも一応「弱音をはかない」みたいな矜持を支えにしてて。理屈っぽい人間だから「この理屈をぶっ立てるにはこういう背景があって」という自己分析をしているんですが、どーーーしても喋ってるうちに(深夜帯になるのもあって)ぽろっと弱音が出る。

くやしい。

 

同性からの交際の申し入れを「社会的にタブーだから」の思考停止で断り、異性からの交際の申し入れを「きっとみんな付き合ってるうちに好きになったんだろう」の思考停止で受け入れてはだめにして、異性とくっつく度に周囲の人間関係をボロボロにして。私は元々根暗でボッチ気質なのに学級委員長をしているというスクールカースト的にも浮いた存在だったわけで(当時はスクールカーストなんて概念なかったから、大人しい先生にも生徒にも従順な影のようなまとめ役って感じだった)、そんな変なやつを好きだと言うとコミュニティ内では「珍獣ハンター」として笑われる、それを貫いて私のところへ来るのを私は知っていたから、ここで断ったら可哀想だなと思って受け入れる、この時点で「おまえマジで付き合ったのかよ」と冷やかしながら私ごとグループに入れようとして失敗する人々と、無言で去っていく人々と、その他にコミュニティが爆散する。学級委員長としてふさわしい振る舞いではないのではないかとも思いながらも、断って相手が笑われるよりも、相手が私の微動だにしない表情筋に音を上げて「フッたった」と吹聴できる方が、名誉を守れるのではないかと思い、私もひとりは寂しいのでつい絆されてしまい、云々。

もっと早く自分を表す言葉に出会っていればそんなぼろっぼろでガッタガタの振る舞いをせずに済んだのだけどなーーーー!!!と悔しさひとしきり。

なので、こうやって思考をネットのデブリとして残そうと思いブログを始めた次第です。

 

異性とセックスをすることは、私にとっては忍耐と奉仕でした。私自身、体を触られることはくすっぐたくて耐えがたい。唾液の中にいる常在菌のことを考えるとぞっとする。股関節は固いし運動不足だから変な体勢を長く維持できないし、でも、体と意識を明け渡して「あの漫画の続き読みたいな」とか考えている間、相手が幸せそうにしていたり、楽しそうに私の体を弄んでいるのを見て、私は少しうれしく思った。せっせっせーのよいよいよい、あるぷすいちまんじゃーく、というアレを大人がやるとこうなるんだ、という感覚だった。みんな、ヘテロでもゲイでもビアンでもバイでも、受け身でセックスをするというのはそういうことだと思ってた。

けれど、髪を撫でられたりお姫様だっこされたり、ドレスを着せられたり花やスイーツを贈られるのは嫌だった。「お前は守られるべき弱い女なのだ」と示されるのが嫌だったのだろうか、シス女だけど。

「お前は、俺(男)に、守られるべき、弱い女なのだ」と、男女の恋愛に当てはめられるのが嫌だったのだろうか。

 

そうねーBL読むときも受くんがはわわきゃるんきゃるんしてる弱弱しい描写があるのはちょっと苦手だし、屈強な男キャラがメス化とかいうのもっちょっと無理なのよねー。

市場に出回っている商業BLの多くと(ここ10年読んでないので傾向が変わってたらごめんなさいね)、少女漫画全般、恋愛小説で最後がハッピーエンドのものは、全部ファンタジーに見えていた。上述した通り、私はどの性別と繋がるときも、周囲の人間関係を破壊するものだし、自分の精神か肉体か、あるいはその両方を犠牲にして相手に捧げることを恋愛だと思っていたので、「相手か周囲(社会)か」という選択をせずに済む恋愛というのがすべてファンタジーに見えるんです。本当にみんな何も思い悩まずに恋愛しているの……?マジで?「性別に囚われて相手を選ぶなんて大変ね」と相手とのこれまでの関係性のみを見る、そもそも相手を選ぶ必要すらない視点から高みの見物を決め込んでいたけど、もしかして、みんなハッピーなイベントとして恋愛を享受しているの????「あいつクソみたいにだらしない性格だけど顔がちょーいいし何より異性(同性)だから好きなんだよね」っていう感じなの……? 性別に惹かれるって何だ……????外見(肉体)的特徴がピンと来れば中身はどうでもいいのか?それってその人である必要ってあるの?それとも「最高にいい二の腕してたけど中身がクソすぎて無理」とかそういう事例もあり得るの?

恋愛ってめんどくさいものなんだな……。

 

二次元になじみがあってよかったとおもう

自分の身に起こる恋愛的イベントの理由とかが分からなかったら、私はもっとボロボロになってたんだろうなーと。

漫画とかアニメで「恋愛」の型が分かってたから、人に恋バナを振られてもなんとなく自分のことみたいに話せたし、相手の挙動から自分に好意を向けているなと察知できた。まあ断る胆力はなかったんだけど。

勿体ない精神に近かったかもしれない。すごく失礼な話だけどね。

 

今でも、恋愛相談を受けると頭の中で二次元に変換して応じたりする。まあ女子の恋愛相談って誰かに聞いてほしいだけだから、私が何言おうとどうでもいいんだけど。

「彼氏と別れたいんだけどどうしたらいい?」って相談にアドバイスしたら半年後にその子は彼氏と結婚してたよーわーすごい。

私!逆疫病神!

私はいわゆる腐女子で、ずっと男の子同士の恋愛描写を好んでしてきた。

でもね、出来上がった漫画を読むと、私、全然キスとかハグとかえっちとか、描いてなかった。告白シーンも全然なかった。でも片想いから始まってた。生死についての価値観を分かち合った男の子同士が、同じ視点で一緒に未来を生きようねって約束する、そんな感じの漫画ばっかり描いてた。

なんだこれ。

BLのLはLOVEのLだよLIFEのLじゃねぇ。

でも読んだ後「なんだかわからないけど、好きです」って言ってくれる人がいたから救われてたし、私はこれを「恋愛描写」だと思ってた。

他人の描いた漫画も読んではいたんだけど、誰がどの話描いてたのか実はあんまり区別がついてなかったんだなぁ。みんなドキドキして告白してちゅーして幸せ。絵柄の区別しかつかなかった。

感想を言ってくれたのに、私はあなたの作品に何も言えなくてごめんなさい。頑張って絞り出したコメントも、何コマ目のAくんの目好き、とかそんなことばかり言ってた気がする。

でも、男性作家さんがドロドロした女性の内面をうまく描くことがあるように、アセクシャル自認の私にも、いつか平凡なかわいい恋愛描写が出来るようになるんじゃないかなって思ってる。

描いてて楽しくなかったら、作風元に戻すけど。

セックスという行為

恥ずかしい話をします。そのために開設したブログですから。

(定型文)

 

私が自分をデミロマンティックの恐らくアセクシャルであると自覚してからそんなに日は経ってない。休日に映画を見に行く途中、ふっと淡路駅twitterを開いたら前回の記事で紹介した「ズッキーニって?」のハフポスト日本版の記事が目に入った。すごいタイミングだった。それまで自分をぼやっとしたバイセクシャルだと思ってた、けど、なんか違うなーとも思ってたから。

同性との性的関係をまだ結んだことがなかったから、一度試してみないといけるかどうかわからないな(抵抗がないことと可不可は別の話だ)と思ったから、ビアンバーの場所を調べて行く自分を想像してはピンとこなくて、レズ風俗のサイトを見て、「リバで」とオーダーする自分を想像して、やっぱりピンとこなかった。

見知らぬ人とその場しのぎで会話することと、ビジネスで寝てもらうことと、それが私の人生にどう影響するのか???まったくわからなかった。

私に必要なのは、相手との長い時間だった。

そういえば子供の頃「Hashedちゃんは良いこと言うけど、時間かかるからみんな喋るまで待ってあげようね」と先生によくハードルを上げられた。放っておいてほしい。

 

数か月前に、親友と言ってもいい相手にラインで話を聞いてもらってたんだけども。

(なお恋愛感情はないです。その感情を持ってしまったら私はストレートである彼女を失うしかないし、彼女を失ったら私は生きていけない……かどうかは分からないけど、数年単位で使いものにならなくなるので、恋愛感情を持ってはいけない)

私は他者の好意を獲得する、繋ぎとめるためにセックスという行為を欲しているように振る舞えるし、かといって自分の体が大事じゃない訳じゃないので信頼してない相手とは寝たくないんだけど、『相手が私を好いていることを私が知っている』うえで、『私は相手を信頼している(=恋愛感情が数年後に芽生える可能性がある)』ので『(今はまだ)私は相手に恋愛感情はないが好かれて不快ではないし、一緒にいて心地がいいので、私が恋愛的な行動に興味を示さないことで私との関係の深化を諦めてほしくない』がゆえに、服を脱いで、非常に屈辱的ながら『抱いてください』というポーズを取る。

元々、人間というものの好き嫌いを何で判断しているかって、相手と話していて不快な匂いがしないか(臭い人は一生かけても分かりあえない)、無臭か(興味がわくまで時間がかかる)、いい匂いか(友達)なんだけど、このいい匂いがする人に「貴方のことが好き」と言われた時、私が真っ先に何を考えるかって、いい匂いがするから友達にはなれるだろうけど、まだ好きでもない相手だけど『抱けるかな?』。

シスジェンダー女だけど、相手が異性だろうが同性だろうが、抱けるかどうかで、自分を犠牲にできるかどうかを考えている。例え好きな相手でも、ふわふわ大事にされて優しく抱かれる自分を想像するとぞっとする。性器の凹凸ではなく、体位とかそういう話でもなく。

(たしかに騎乗位がやりやすく屈辱感も少ないので望ましいけれど、正直さっさと終わらせてほしいのでそこは相手の好みに合わせる。天井のシミでも数えてりゃ終わる)

この時点で結構自分がめんどくさい。まあ、キスもハグもセックスも総じて相手に合わせて行うスキンシップの一部としてしか特に興味がないので、別に私が耐えればいいだけの話なんだけど。

逆にいうと、隣で喋っている親友に対してある日突然ふっと「もし私がこの人を抱くとしたらどういうシチュエーションでどう扱うだろう」と考えたら、あとはもう坂道を転がり落ちるように好きになってしまう。それまで容姿も仕草も特に目をひかなかったのに、相手の総てが愛らしく可愛く見えてしまう。だから、なるべくセックスという行為については考えないようにしている。

第一、そこに至るまで5~10年かかるし、相手はその頃には私のことはもう家にある古くなったお鍋くらいの存在に見えているはず。そんな存在に急に好かれたら、恐ろしいんじゃないかと想像する。死角からアイスピックをこめかみにぶっ刺されるのと同じことだ。

 

人と知り合い始めの頃は、いい匂いのする人以外は相手の名前も顔も覚えるまでにすごく時間がかかるし(興味がないから)、いい匂いの人でもやっぱり3,4回は顔を合わせないと名前も顔も覚えられないし、だから発言内容にも特に気を遣わずに適当に喋るから、冷たい、突き放してると言われる。そのくせ、仲良くなって内面とか価値観の話をするたびに「この一言で一生会えなくなるかもしれない」と思う。

それでも聞いてほしくて喋るのは、やっぱり孤独死がいやで、私は寂しくて仕方ないんだと思う。

 

ままならない。

母は最近何かを勘付いているのか、二人きりになるたびに何か訊きたそうな顔をしているけど、私は全く気づいてないふりをして猫動画をスマホで流す。

ありがとうtwitter、ありがとう猫。