ハヤシライスは好きじゃない

ネットの記事は書き捨て。セク・ロマともにA~デミを行き来している人が思ったことをぽいっと書く。セックスは平気だけどキスは気持ち悪い。

wikiに項目がないと怖いよね

自分の中では当たり前のことなのに、wikipediaに記事がないか赤い文字でリンクだけあると、仲間がいないのか~~と不安になる。

ネットなんて、wikiなんて頼りにならないソースだと思ってたのに、心のどこかでは支えにしてたんですね。

 

ないなら自分で書いて整理しよう。

そういうブログです。

口内炎が舌の根元に出来ているがために歯がかゆい。

 

前回「時間できたら自分の性別について考えたことをまとめてみよう」というようなことを書いてた気がするんですが、やれ仕事だやれなんやかんやと忙しくて2ヵ月経っちゃったし〆切3日前だけどまあいいよね!

 

一番古い記憶の中でも、保育園で泥団子作ってガンダム投げて遊んでた子供でした。おままごととかあんまり好きじゃなくて、走り回って泥だらけになるには男の子と一緒に遊ぶ方が楽だった。だってぶつかっても服が汚れてもみんなほとんど泣かないで笑ってるから。女の子は一緒に遊んでるとすぐ泣いちゃう(起爆スイッチの場所が分からない)のでとても難しかった。

休みの日、母に買ってもらったラジコンカーを家の前で走らせて一人で遊んだり、たまに近所の年上の女の子に頼まれて、「夫婦ごっこ」に付き合って旦那役をやっていた。私には生後4か月頃から父親がいない(らしい)ので指示されるままにコップの中の麦茶(ビールの真似)を飲んだり、年上の女の子の胸を服の上から触ったりしていた。よく分かんないけど何が楽しいの……?という感じだったけど、今思うと「アチャー……」である。

小学一年生の頃、男子とお尻丸出しで教室を走り回って、恥じらった方が負けみたいなルールで遊んでた記憶がある。履かされていたスカートとパンツをロッカーの上に放り投げて「こんなものなくても全然恥ずかしくない!」と宣言した。本当に恥ずかしくなくてめちゃんこ楽しかった記憶はあるけれど、当然、先生にはすっごく怒られた。

「女の子がそんなことしちゃだめでしょ!A君は男の子だから仕方ないけど、同じことをしてはいけないんです!」

なんでや、ずるいやろ!と思ったのを今でも覚えている。それと同時に「そうなのか、私はどうやら女の子だから怒られないように、ばれないように遊ばないとだめなんだな」とも思った。けれどずっと「自分は男の子といる方がしっくりくるのにな」という感じが心の中にあった。

小学5・6年生の時に普段会話をしない女子グループと絡み、少し気が高ぶっていた私は「好きな男子いる?」という話題にどうしても乗っかりたくて、隣の席に座っていた仲のいい男子の名を挙げ「あんなののどこがいいの、ゴリラじゃん」と言われ、何故か「この不名誉な視線から彼を守ってあげないと」とハートに火がついてしまった。友達への「好き」を「守護したい」に進化させてしまった私は、それを「初恋」なのだと思い込むことで「私も成長しているのだ」とほくそ笑んでいた。でも「告白」したあと、特にしたいこともないし、そもそも恋人同士が何をするのかも知らなかったので、卒業式の日、彼に筆記用具と「好きだと思う」と書いた手紙だけを渡して満足した。地元の中学に進学して彼が隣のクラスだと知り、「ひっさしぶりー!」のノリで顔を出したのに無視されて、別の男友達に「女子と遊ぶと笑われるんだよ。それにお前、告ったんだって?」と神妙な顔で言われて、ああ、制服を着る年になると私も「女」にならないといけないのか……。とこの時初めて意識した。初潮が来た時だってそこまで深く考えてなかったのに。

その少しあと、幼馴染の男の子に告白されて「男の子と付き合えば女の子になれる」と思い付き合ってみるも、全く何をすれば良いのか分からず自然消滅。他校だったし、まあそんなもん。

中学入学まで男友達とばかり遊んでいて、女友達はたった1人。どうしても馴染めなくて頑張って女子の輪に入っても鞄を水浸しにされたり靴を隠されたりして、仕返しと先生への報告相談が面倒で女子の輪に馴染むことは諦めた。唯一の女友達は不登校になってしまっていたし(今にして思えば、私に巻き込まれたのかもしれなくて、それだけが少し心残り)。当時RPGゲームにハマっていた私は、偶然通りかかったマン研で「オタク」の存在を知り、一瞬で馴染んだ。男子と四六時中ゲーム攻略の話をしていても怒られないし、女子と二次創作BL(先輩から教えてもらった)の話をしていても誰にも何も言われない。最高かと思った。

元々私の通っていた中学校は、「AくんとBくんがキスしてた、男の子同士で付き合ってるらしい。でもからかったりしたら(他の男女のカップルと同じく)別れるからそっとしておこうね」という空気が当たり前だったり、同学年でカリスマ的な存在だった運動神経も勉強も学年トップクラスの男の子が、花や裁縫が好きで線が細く言葉遣いも少し女の子っぽい、けれど誰もいじめたりからかったりしない、そういう環境だったので、自分のスタイルを確立できずにぼさっとしたまま、オタクの輪に引きこもりながら息をひそめていた私でも学級委員が務まったし、男女ともに非オタクの友達も少しずつ出来た。出来たけど、大体みんな「付き合おう」か「男子と付き合わないで」とかなんとか、急接近からの離脱を繰り返して面子の入れ替わりが絶えなかった。もう顔も名前も覚えてない。某走り屋漫画にのめり込んでコンビニで水着グラビアが表紙の青年誌を立ち読みしていたら、女友達に急にぼろぼろ泣かれた時は本当に困った。「漫画にとられた気分になるから私の前では漫画を読まないで」と言われて、面倒くさい……と思った。でも友達なので肩を抱きながら泣き止むまで傍にいた。

高校に進学して、ミニスカートに緑色のラインが入った、地元では「賢くないけどデザインは可愛い」と噂の制服に身を包んでも、自分を女だと思えなかった。だって1か月以上男女交際が続かないんだもん。自分から相手を探そうとは思ったけれど、同級生の男の子の顔はみんな気持ち悪いし、アイドルも綺麗な顔とは思えなかった。好みなんてまったくなかったけど、幸いなのか不運なのか、男女交際の期間が途切れることがないくらいの頻度で声をかけられる機会はあった。でもみんな長くても半年くらいで白旗と一緒に私を振った。時々私が尋常じゃない恐怖を感じてしまい(壁ドンとかそういうの、めっちゃ怖いよ!)逃げ回った末に泥沼状態で絶縁したりと割と骨を折っていた。並行して、先約がいるのでと交際を断った年上の女の子がタイミング悪く精神を患ってしまって入退院を繰り返すようになって、しっかりと「自分のせいだ」と思い込んだあと、同級生の女の子から「好きだけどあなたを諦めないといけないと思う」と読んだ瞬間に振られている先手必勝な手紙を貰って、私の中で「女の子とは付き合ってはいけないらしい。BLでも男同士はだめなんだって描いてあったし、だから私は多分女だ」と思った。女と付き合えないんだから、私は女なのだと。

「男と女」しかなかった。BL読んでたけど、ファンタジーだと思ってた。少女漫画もファンタジーだと思ってたけど。

高校を卒業して専門学校へ進学する頃、家庭環境が困窮してきて、同時に家族が精神疾患を抱えて家庭が荒れはじめ、私は「私の性別」と向き合うタイミングを逸した。毎日を生き抜くために膨大なエネルギーが必要で、心を開けるごく一部の友人以外との交流をとる余裕がなかった。その友人(オタク関係)の中にいた、一回り以上年上の女性に「君は可愛いね」「王子様になってね」と言われて、私多分将来的には女になる人間だけどいいのかなぁと思いながら求められる「王子様像」を演じ続けて付き合いを継続していたものの、カラオケボックスで喋っていたときに服の上から短時間ではあるものの性的な接触をされ「これは何?」とは思いながらも、それが「性的なこと」とは気づけず、ただ心の中にざらっとした不快感だけが残ってしまい、それを引きずったまま徐々に彼女の執拗な束縛に耐えきれなくなった頃に「精神を患った」と言われ、「私が彼女を壊してしまったんだ」と過去の体験を思い出してサーッと血の気が引いて、彼女関係の交友の一切を一晩のうちに整理してばっさり切り、「これ以上女性を傷つけるのはよくない。私も早く男の人と番いになって女にならないと」と思った。つまりこの時点では「将来女になるが現時点では私の性別は不明」だと思っていた。多分。

専門学校はジャンル的に女性8:男性2くらいの生徒数で、周囲もオタクだらけなので居心地が良く、告白イベントなども起きなかったので平和だった。中学時代に一緒に学級委員をしていた男子と成人式で再会して、その後告白されて交際を受け入れ、それが少しばかり長続きしたのは、ちょうどネトゲで「男性キャラを操り、私自身も男の振りをする」という遊びを覚えたので、非常に心が安定していたからだ(無意識だったけど、今振り返ると「そう」としか言いようがない)。ネトゲ上で知り合った人々とチャットで所謂「恋人同士」のようなやり取りを流れ的にしたりもしたけど、すっかり強く(鈍感に)なった私は、精神を患って不眠になったと訴えられても、私の体の性別を知った相手に俺の女にしてやるとチャット上で宣言されても「アカウント消そ」くらいにしか思わなくなっていた。誰とも深くかかわらないでおこうと思っていたので、切る前提でしか交流はしなかった。今もこの癖が抜けないけれど、まあいっかという感じである。

結局「中学の同級生」とはこの後1年ちょっとで「お前いつまで男っぽいんだよ」と言われて頭に来て全ての連絡手段を突然断ち切って、アカウントを消すようにしてに別れた。数年後、卒業して仕事に就いてから職場のお客様が家についてこられるようになり(控えめな表現)、「嫁に来てほしい、養える。お前の変な趣味(洋ドラをDVDに焼いて集めること)を治してやるから」と夜道で花とケーキを渡されながら言われ、命の危険を感じて「中学の同級生」の連絡先をつきとめて恥を忍んで相談をして、対応を手伝ってもらううちにもう一度交際することになり、数年間一緒にいた間に「男っぽいのもお前のいいところだよ」「友達感覚でいられるからいいよね」という関係に落ち着いて、このままもう少し頑張れば「女になれる」と思っていたけれど、セックスしても婚約指輪をはめても、ご両親に挨拶を済ませても、私が「女」になったと思える日は来なかった。ただ「男である」という子供の頃の感触はどこかへ消えていたから、「あと少しで女かもしれない」という感じだった。今思うと「女だ」と思い込むことで「男でありたい」を押し込めて蓋をしてしまったことすら忘れていた。

ひょんなことから「私はバイセクシャルかもしれない、だから性別が日によって男に寄ったり女に寄ったりするし、世間の恋愛を上手くできないんだ」と思い、単純な私は当時付き合っていた「中学の同級生」にそのことを相談しようとした。ら、1年間連絡をとってなかったらしい。引越しとか挟んでたし、あちらも忙しいと聞いていたから、きっと暇になったら連絡が来るだろうと思っていたくらいで、そんな意識なかったし、私はそう言われて「そうか」としか思わなかった。なんというか、私の中では「親友という段階を経て交際をしているので、世間の男女のように毎晩電話をしたり頻繁に出かけなくても大丈夫な関係」だと思っていたけれど、向こうはそうではなかったらしく、「友達感覚が抜けないなら別れるしかない」と言われて「うーん、友達感覚だからこそ最高だと思ってたんだけど」と返し「よく考えろよ」と言われて「分かった!別れよう」と返答して、別れた。

(数か月後のクリスマスに「話しあいたい」とメールが来たので「あれ?終わったんじゃないの?」と返事をしたら「マジか」とだけ返ってきた。友達に話すと爆笑間違いなしの私のアホエピソードの鉄板ネタと化しているけど、それ以外に何て返せばよかったんだ?)

で、気兼ねする相手もいなくなったし、自分がバイセクシャルであるかどうかを確認しようと思い「レズ専用 風俗」で検索をして、予約に必要なお金を用意した。タチかネコか分かんないから、予約する時はリバって言わないとなー、私BLは左右固定なんだけどなアハハ、とか思いながらやっぱり来週予約しよう……とちょっと逃避してtwitterを開いて、(もう何度も紹介しているけど)

 

www.huffingtonpost.jp

この記事にたまたま出会って「うわ、私デミセクシュアルだ」と、雷に打たれたように一瞬で悟った。同時に、えっセクマイ……えっ?少数派?マジで?これが普通じゃないの?!と混乱した。けど、「親密じゃないと関係が持てない」という自分の本質に改めて気づいたので、とりあえず風俗を予約するのはやめた。絶対逃げ出しちゃうもん……そもそも他人と足ふきマットを共有するのがダメなのに……。

そこから、ロマンティックとセクシュアルの違いについて考えているうちに「恋愛的に好きって、分からない」「もしかして知らないかも……自分から告白したり惹かれたこと一回もない(付き合えば好きになるだろう→人を好きになれば女になれるんだろうと思ってた)」、から現在はAロマ/デミセクだな、と思っている。私の中の性的欲求も曖昧だけど、親友(女でも男でも)に「抱いてほしい」って言われたら全然抵抗ないもんな、と気づいたから。ただ「抱かせてほしい」って言われたらちょっと迷うかな……とも思った。天井のシミを数えていれば勝手に終わるならいいけど、じっと耐えないといけないんだとしか思えなくて、女か男かも分からないうちに、バリタチだなという答えに辿りついてしまったっていう。

その後、Xジェンダーという概念にも出会い、母親からも偶然「女の子として育ててないから」とさりげなく言われて肩の荷が下りて、「女にならなくていいんだ」と思えたら、逆に「男性的」なものもそんなに欲しくないなと気付いて(日用品で使うのは男性的なものの方が昔から楽なのだけど(女性的とされるものの香りとか色が苦手なので)、「ワイシャツに灰色のカーディガンとループタイ」とか「青い鞄」とか「ベリーショート」とか、もうとにかく「女になるためにやめないと」と思ったことをぜーーーーーんぶ実行するように生き始めたら、毎日がとても楽しくなった。化粧は同人イベントの時だけだし、毛剃りもマメにはやってないし、でも「自分」でいられるのってこんなに楽なんだ……って思った。

時々百貨店とかの女性用トイレを借りて息苦しさと個性をすりつぶされるような圧を感じて泣きそうになるけど、せっかくの休みをデートとセックスに充てて「まだ女になれない」って思いながら、冷えたブラジャーを拾って惨めな気持ちで身に付けて疲れた体で翌日の仕事に備えることを定期的にしなくていいんだと思うと、もうそれだけで救われた気持ちになった。セックスしなくていいお出かけは楽しかったけど、相手がつまらなさそうだったのがつらかったので、やっぱり「よし!別れよう!」以外に何も言うことなかったでしょ?!って思ってる。

社会的性ってなんぞや?

過去記事と正反対のことを書く日も、それをさらにひっくり返して書く日もあると思います。

あっでも前回の日記に書いた猫はすっかり我が家の一員ですよ。一員と言うよりもう頭ですね。ヘッド。

 

数か月前、ふと「シスジェンダーって何だろう?」と思いました。ジェンダーというのは社会的に語られている性別のことで、恐らく「私はお淑やかで女らしい」から女、「私は力持ちで勇敢」だから男、という感じでしっくり来ているのがシスジェンダーなんだろうな、と思ってるんですがこの理解があっているのかどうかわからない。

少し前まではここに「シスジェンダー女ですけど(ドヤ!」って書いてたんですけどね、これ、「私にも恋愛感情はあります!(ドヤ!」と同じ勘違いをしてたっぽいんですよ。「違和感(嫌悪)がなければ適合」っていう、YESかNOかでしか判断してなかった!

私は自分の性格を男らしいとも女らしいとも思えないし、好きなものは機能性、可愛いものには興味がないしスカートは大嫌いで学校の制服にずっと文句を垂れていた(卒業式の翌日が燃えるゴミだったので捨てました)、憧れを抱き同一化したいと願うのはいつでも「性(異性)に興味のない男性(二次元キャラクターがほとんですけど)」もしくは「男性の形をしたアンドロイド」。私はこれを「大人になりたさの顕れ」だと解釈していたんですが……タイトなミニスカートやウェディングドレスを着て大人の女性になるというビジョンは抱いたことがなかった。「大人になりたい」なら、そちらの空想も抱いていてもおかしくないのに。

ふと振り返って、あれ……?となっていた矢先、会話の流れでサラッと親に「子供の頃から女の子と思って育ててない」とカムされて、あっらま~、じゃあ私が「男になりたい訳ではないが私を女と定義するな」といきり立ってた件、これってもしかしてXジェンダーと言うやつでは……?と。Xジェンダーについての本が出ているので買って読みます。

多分私がピンとくるのは「中性」だと思います。自分の肉体的性別と自分の心地よさのギャップを埋めるために、一般的に定義されている異性の要素を日用品やそれらのデザイン的、服装などから取り入れて「中和」しようという意識を幼少の頃から抱えていたので。性別がない訳じゃないだろうな……と。

 

最近思い立ったがツイッターってなもんで、わーーーっとツイートして終わらせてしまっているので、時間を作ってまとめて深めていきたい。

ひとまず準備運動でした。

人は猫にも恋をするのか

ご無沙汰してました。あけましておめでとうございます。

 

突然なんですが、うち、近所に野良猫があふれてるんですね。いわゆる「地域猫」とかいって、みんなで世話しているらしいんですけど、私は元々「看取りも看病も私生活を削ってできないなら手を出すべきじゃない」と思ってたのでねこだいすきだけどノータッチだったんです。

で、この間。ちょっと用事があって丸一日家を空けてたら、玄関に例の野良猫のうちの1匹がいる。

話を聞けば

「近所のAさんが血尿を出しているこの子を見つけて動物病院に連れていった、同行したBさんもAさんも家で猫は飼えない」→は?とは思うがまあ理解はできる

「野良猫だから病院から帰ってきた日は外に出していた、そしたら雨が降って挙句、気性の激しい別の猫に怪我を負わされたようだ」→なんで外に出した?

「だからうちに置いてほしいと言われて(猫好きな家族が)OKを出した」→じゃあ最後まで面倒見ましょう→飼うんだよね?

「元気になったら外に出してほしいってAさんが言ってる」→は?

「今週末病院に連れていくけど、我が家の車は出すな、治療費は金出すから自転車の荷台に乗せて行くってAさんとBさんが言ってる」→???????????????????

「Aさんは元気になったらうちで飼ってもいい、とも言ってた」→看病は?????????????????????

「Bさんは家族が猫嫌いだからマンションを借りて猫と住むって言ってる」→現実的じゃないんだけど大丈夫?物件決まってないんでしょ??????看病は???????????

 

「看病は出来ない」「猫がまた病気になったり怪我をするリスク」「でも猫とは遊びたいし餌をやることで世話をしているつもりになりたい」(そもそも各家庭が自由気ままに健康管理もせず餌をやった結果が血尿では?トイレ代わりにされている家は何とも思わないの?)

このあたり何とも思わないのか……私が頭が固いのか……?

ド平日の朝っぱら出勤時間前から二人でおしかけてきて猫の湯たんぽを入れ替えるからと(そんなの我が家で猫の様子を見ながら出来るのにやるなんてどう考えても「世話をしているつもりになりたいから」では?)寝ている猫をどけて二人で名前を呼んで起こして安否を確認しては「元気がないから病院に行く自転車なら持ってきた」ぴーぴーぎゃーぎゃー…… これが夕食時にもう一度ある。買い物に出ようにも彼女たちが来る時間は家にいないといけない。我が家にだって風邪引きがいて来客の対応なんか正直してらんないのに、行動が制限されてどうしようもない。

 

滅茶苦茶腹が立ったので、明日、週一の休みを返上してちょっと親権を巡って議論してくるんですけど。この「親権」に対して「治療費を払うことで繋ぎとめたい」が「面倒事は関わりたくない(看病はしたくない/家庭の事情でできない)」、だったら治療費変換しますし遊びたいなら、我が家に上がって遊んでいけばいい。手土産なんかいらないから。ただこちらの都合さえ読んでいただければ。

 

私は割と動揺することが少なく、怒りも顔に出づらいので(営業スマイルくらいは人並みにできます。接客業なので)命がかかってる事に対しては猶更冷静でいないといけないなと、医者の言葉と少しのネットの情報を元に静かに看病しているんですが、こう、「愛情をかけている」ということに対して冷静だと、愛情がないと疑われるのは何なんでしょうね?

第一看病してほしいと言ってきた家の人間を病院に連れていかずに医者の言葉をAさんBさんの口から矛盾したサラウンドできかされて(これに関しては押しに負けたうちの家族にも非がありますが)、正直手間が増えてる。

一緒にピーピー叫んで猫が元気になるなら私だっていくらでも騒ぎますよ。でもそうじゃないんだから、彼女たちがいやがるトイレの世話も、噛まれながら餌を口にねじ込むことも、冷静に猫と向き合ってしなきゃいけない。今後のことを考えれば、何らかの病気を患った猫をこのクソ寒い季節外になんか出せないし、春になったって気性の激しい猫がいて、他にも例えばHIVキャリアの猫がいるかもしれないし(この猫がそうじゃないとは言えないし)、一本表へ出れば産業道路があるような土地柄で、ちょっととろくさい猫を放りだすなんて、一度世話をしてしまった以上はできない。自由がないからなんていうのも、長く生きてほしいから医者に見せて注射を打つなんてのも、どっちも人間の推測でエゴでしかないんだから、人間の手を加えてしまった以上は、人間なりにできることをしてやらなきゃいけないんじゃないのか?

猫が外に出たがることも、人間の赤ちゃんが外に出ていくのと一緒でしょう?危険があることを知らないで、欲に任せて出ていくんだから、知ってる人間が止めて守ってやらなきゃいけないんじゃないの?

そんなに間違っているのか?

 

私には彼女たちの行動が「恋」に見えるんです。いや、正確には恋愛にまつわるあらゆる「献身の皮をかぶった自己中心的な行動」が(相手の都合をきかずに突撃するいわゆる「来ちゃった」なんてまさにこの上記の湯たんぽと同じでは?)、短絡的でハタ迷惑に見える。

もう少し冷静に、色んな事情を顧みて自分にできることを分析して動いたりは出来ないのか?看病している私たちは(まあ猫飼ってた経験があるのもあるんですが)日常を普通におくりながら、少しだけ自由な時間を削っているにとどまっているのに、やれ心配で眠れなかったから睡眠薬を飲んだなんだかんだと言われても、正直知りませんよ。恋愛相談なら他所でやってほしい。

不可逆な人間関係

kadokawaから出ている「やがて君になる」、面白いですね。

主人公がAセクっぽいと聞いて読み始めたんですが、私はゆうちゃんより同級生のまきくんの気持ちに近いなぁと思うし、そういう感じで観劇している視点では、さやかちゃん→とうこちゃんが好きです。

作中の舞台が同じ街、高校なんですが、同性愛カップルが3組(片想い込)出て来ると、おお、近い、と思うんですが、これはフィクションにしかないのか、それともリアルでも可視化されていないだけでこんな感じなのだろうか。

 

「相手のことが好きで傍にいたいから、関係を壊さないように気持ちを黙っている」っていうのはどの性別の組み合わせでも、美しいとか純愛、自己犠牲という市民権を得ているような気がするけれど、「(恋愛的には)好きじゃないけど(大切な人だから)離れたくなくて、気があるふりをする」っていうのは美しさとは正反対かな……卑怯とか阿婆擦れとか。う~ん、同じ動機だし表面上は相手に応えてもいるのに、これは自己犠牲にはカウントされないのかな。不思議だ。

 

好きな子の写真を待ち受けにしたい、というのがなんだかすごく……異文化だ……という感じで、自分の顔が美醜とは関係なく嫌いだった私は、過去、誰にも写真を撮らせなかったんですが、結構冷たい仕打ちだったのかなぁなんて思ったりもしました。

今まで恋愛漫画のこういう描写は全部フィクションで、リアルの人間は好きな子の一挙手一投足に悶絶しないし、すれ違っただけでどきどきしない、手を繋いで歩いて手汗がじっとりしてくるのは体温の差と密着している部位にありがちな生理現象では?みたいに思っていたのでまったく自分とは関係のないものとして処理してきたんですが、これを「普通に怒り得る生理的な反応」として読むと、ああなんて人間って面白いんだろう、と思いました。そして、私のこれまでにこういった感情が一切なかったことで、じわじわと恋愛感情のスイッチがないんだなぁと実感していく感じで。

 

なんだろう……可愛くて、美しいんだけど、実際作中でもとうこちゃんはそれを演じているんですが、所謂スパダリでなければ、押せ押せの片想いが美しくならないのかなぁ、何をやってもダメで誰にもモテなくて、顔も普通でハナがなくて片想いをして押して押したら、きっと「迷惑」じゃないですか。

そこの違いって何なんでしょうね。

自認するまえに日記書いてた

自分が「消極的なバイセクシャルかな」と思ってた時の日記が出てきたのでコピペします。

理由?露出趣味です。あと、一か所にまとめておくと自分で振り返りやすいから。

 

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最近つくづく思ってるんだけど、私にはどうも恋愛感情がない
ずっと腐女子をやってきて「Aくん♡Aくん♡」つってきゅんきゅんしてたからこれが恋愛感情というなら持ってるんだけど同じ感情を三次元の男に向けた記憶がない。
三次元に向ける感情の最上級は「親友」「信頼」あたりなんだけど、これがあれば私は相手に対して何でもしてあげたいと思う。

性別はどうでもいい。

ただこれに「恋愛」で返されるとちょっと引いてしまうというか。
基本的に他人と肌が触れ合うとか手をつなぐとかが生理的にあまり好きじゃなくて、でも「してほしい」って言われてじゃあ頑張って合わせる、って言って実際に行動に移せるのは親友感情を抱いている相手で(自分からしたいとは思わない)
例えば「手を繋いでほしい」に対して私が報いた時「嬉しい」まではいいんだけど「好き」って来られると きつい。
なんだろうなぁこれ。
ここ数年異性に対してうんざりしていることは認める。
なんでみんな私を「女」と見ると「可愛がらなければ」と躍起になるんだろう、すごく気持ち悪い。
男の人は、私が「基本的にこの先一人で生きていかなければいけない」って思ってることに対して個性的だとそそられたり、可愛げがないと思うらしいんだけど、

私は元々生い立ちの関係で、12歳の時に天涯孤独になった時に備えてさっさと大人になりたいと思っていたから(持ち物から子供らしさを排除して、ブラックコーヒーに手を出したりしはじめた。今思えば子供っぽいアクションだと思う)、その「一人で生きていく」っていう覚悟をなんとしても否定することを「受け入れる、愛すること」だと思っている男の人にしか出会ってこなかったので、うっすらと失望している感じもある。

じゃあ女と付き合いたいかって言われると、肉体的・精神的に幻想が誤魔化してくれる余地がないからちょっと怖いなぁと思う。嫌悪感はないんだけど。
同性とそういう関係になって「やっぱダメだった」って思うことがあるのかどうか、そもそも全部「同性はそういう対象ではない」として避けてきたから分からないんだけど、
まさか「私がノンケかバイか確かめるためにちょっと抱かせてほしい」なんて頼める同性の親友なんかいないっていうね。
だから別に、カテゴライズする必要もないかなぁと思う。自分が所属するコミュニティの名称が分からないのはしんどいけど。

というようなことを、友人に相談したら「落ち着いてよく考えて」「そうじゃなくて、こうなんじゃないか」というような言葉をかけられて、ぺしゃんと気持ち的に潰れてしまった(その子は何も悪くないし、嫌いになったりはしないんだけど)
そうか、私の視点は「否定して改善してあげないといけない」ものなのか~と、
「私はストレートだから」と最初に前置きをされて、全くそういう意味での告白ではなかったんだけど勝手に振られたような気分になってたりもした。

うーん! ささくれ立っている気がする!

恋愛観というか、ここ数年、じわじわっと、周囲との考え方というか、リアクションが違うなっていうのに気づいてて、私は上記の通り「親友」あたりの信頼関係がある相手でかつお互いに合意の上、不誠実ではないならば性別を問わずに性行為ができると思ってて(だからその理屈で二次創作でBL描いてるんだけど)、それを取り巻く周囲の「AくんとBくん結婚して」っていう推し方に違和感を抱いてて、受にウェディングドレスを着せてしまうこととか、受は料理が上手いとか、そういう「型」がしんどいというか。
「親友同士」が外部から見て「恋愛」に見えるのは構わないんだけど、わざわざ「好き!」「おれも!」っていうプロセスを挟んで「恋愛」に変質させないと性行為を描写してはいけない、みたいな風潮が、なんかもう、分からない……分からないけどそこは周囲に合わせないと……って思ってて、
それが突然馬鹿馬鹿しくなってしまった。
推しキャラもCPも変えるつもりはないけど、もうその「恋愛」だから「性行為してもいい」もだけど「親友同士だから傍にいる」し「別に性行為はしなくても」CPだと言い張る。

オタクとして好むものと、自分の感覚が乖離していることに罪悪感を抱いてたけど、きっとみんなそうだよなぁと思って強く生きたい。

++++

 

CPとか推しキャラの名前は一部伏せました。

ツイッターやってるんですけど

あるじゃないですか@tosってやつ。TLには出ないけど、ホーム画面からはバッチリ見えるやつ。

ホームを辿るってことは相当興味があるということで、そんな労力をかけてくれる相手ならまあ滅茶苦茶なこととか軽はずみなことは言ってこないだろうみたいな空気がありまして、私もちょくちょく利用するんですね。

ほんっと顔も見たことない他人に甘えてるんだけど。

まあ、珍獣が何を考えて生きてるのか、ちょっとした芸の肥やしにでもしていただければいいかなみたいな。私も文字にしないと自分が何を考えているのか整理できないのでwinwinだろうと勝手に思ってるんですけど。

それでも一応「弱音をはかない」みたいな矜持を支えにしてて。理屈っぽい人間だから「この理屈をぶっ立てるにはこういう背景があって」という自己分析をしているんですが、どーーーしても喋ってるうちに(深夜帯になるのもあって)ぽろっと弱音が出る。

くやしい。

 

同性からの交際の申し入れを「社会的にタブーだから」の思考停止で断り、異性からの交際の申し入れを「きっとみんな付き合ってるうちに好きになったんだろう」の思考停止で受け入れてはだめにして、異性とくっつく度に周囲の人間関係をボロボロにして。私は元々根暗でボッチ気質なのに学級委員長をしているというスクールカースト的にも浮いた存在だったわけで(当時はスクールカーストなんて概念なかったから、大人しい先生にも生徒にも従順な影のようなまとめ役って感じだった)、そんな変なやつを好きだと言うとコミュニティ内では「珍獣ハンター」として笑われる、それを貫いて私のところへ来るのを私は知っていたから、ここで断ったら可哀想だなと思って受け入れる、この時点で「おまえマジで付き合ったのかよ」と冷やかしながら私ごとグループに入れようとして失敗する人々と、無言で去っていく人々と、その他にコミュニティが爆散する。学級委員長としてふさわしい振る舞いではないのではないかとも思いながらも、断って相手が笑われるよりも、相手が私の微動だにしない表情筋に音を上げて「フッたった」と吹聴できる方が、名誉を守れるのではないかと思い、私もひとりは寂しいのでつい絆されてしまい、云々。

もっと早く自分を表す言葉に出会っていればそんなぼろっぼろでガッタガタの振る舞いをせずに済んだのだけどなーーーー!!!と悔しさひとしきり。

なので、こうやって思考をネットのデブリとして残そうと思いブログを始めた次第です。

 

異性とセックスをすることは、私にとっては忍耐と奉仕でした。私自身、体を触られることはくすっぐたくて耐えがたい。唾液の中にいる常在菌のことを考えるとぞっとする。股関節は固いし運動不足だから変な体勢を長く維持できないし、でも、体と意識を明け渡して「あの漫画の続き読みたいな」とか考えている間、相手が幸せそうにしていたり、楽しそうに私の体を弄んでいるのを見て、私は少しうれしく思った。せっせっせーのよいよいよい、あるぷすいちまんじゃーく、というアレを大人がやるとこうなるんだ、という感覚だった。みんな、ヘテロでもゲイでもビアンでもバイでも、受け身でセックスをするというのはそういうことだと思ってた。

けれど、髪を撫でられたりお姫様だっこされたり、ドレスを着せられたり花やスイーツを贈られるのは嫌だった。「お前は守られるべき弱い女なのだ」と示されるのが嫌だったのだろうか、シス女だけど。

「お前は、俺(男)に、守られるべき、弱い女なのだ」と、男女の恋愛に当てはめられるのが嫌だったのだろうか。

 

そうねーBL読むときも受くんがはわわきゃるんきゃるんしてる弱弱しい描写があるのはちょっと苦手だし、屈強な男キャラがメス化とかいうのもっちょっと無理なのよねー。

市場に出回っている商業BLの多くと(ここ10年読んでないので傾向が変わってたらごめんなさいね)、少女漫画全般、恋愛小説で最後がハッピーエンドのものは、全部ファンタジーに見えていた。上述した通り、私はどの性別と繋がるときも、周囲の人間関係を破壊するものだし、自分の精神か肉体か、あるいはその両方を犠牲にして相手に捧げることを恋愛だと思っていたので、「相手か周囲(社会)か」という選択をせずに済む恋愛というのがすべてファンタジーに見えるんです。本当にみんな何も思い悩まずに恋愛しているの……?マジで?「性別に囚われて相手を選ぶなんて大変ね」と相手とのこれまでの関係性のみを見る、そもそも相手を選ぶ必要すらない視点から高みの見物を決め込んでいたけど、もしかして、みんなハッピーなイベントとして恋愛を享受しているの????「あいつクソみたいにだらしない性格だけど顔がちょーいいし何より異性(同性)だから好きなんだよね」っていう感じなの……? 性別に惹かれるって何だ……????外見(肉体)的特徴がピンと来れば中身はどうでもいいのか?それってその人である必要ってあるの?それとも「最高にいい二の腕してたけど中身がクソすぎて無理」とかそういう事例もあり得るの?

恋愛ってめんどくさいものなんだな……。